喜右衛門沈船引揚げプロジェクト
江戸時代寛政十一年、西暦1799年に、長崎で半沈没状態となった西洋帆船エライザ号を独自の知恵と才覚で引揚げた人物がいた。
その名は、村井喜右衛門。
国内外から賞賛を受けたこの快挙につき、彼は詳細な引揚げの記録文書と説明絵図を残している。
これらの文書・絵図を技術的視点から読み解き、喜右衛門の沈船引揚げプロジェクトとしてまとめてみたい。
目次
はじめに
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はじめに
新型コロナ禍が続く2020年末、書店でふと「ちえもん」なる小説が目にとまった。
腰帯には「日本初の巨大沈船引き揚げに挑んだ男の生涯」とあり、興味がわき早速購読。読み始めたら面白くて止まらず、一気呵成に読了した。久々に骨太な、読みごたえのある物語だった。
特に、主人公の村井喜右衛門が知恵と工夫を凝らして、沈没した西洋帆船「エライザ号」を引揚げるくだりは、わくわくしながら読み進み、成功したところで喝采をしたい気分だった。
喜右衛門はこの引揚成功により、長崎奉行から褒章され、オランダ出島屋敷から成功報酬を受領し、出身地防州(現山口県)で苗字・帯刀を許され、当時の江戸幕府老中松平伊豆守から賛辞まで受けたという。
このような、市井にいながら知恵と統率力で、大きな仕事をやりとげた人物がいたことをこれまで知らなかった。
小説という形で、世に知らしめてくれた作者松尾清貴氏に感謝したい。
ちえもん
松尾清貴著
読後の余韻にひたりながらも、引揚げの記述の細部で、すんなり理解できない箇所があり、そこを何度か読み返したがどうも納得がいかない。小説にはそれなりの語り口があり、細部にこだわるべきではないと思いつつ、この小説がよって立つ史実を調べてみたいという思いがわき、インターネットで調べてみることにした。
まず、目にとまったのが「阿蘭陀船於唐人瀬沈船 防州喜右衛門挽揚絵図 上」なる絵図である。
この図は神戸市立博物館所蔵で、喜右衛門の沈船引き揚げの件を文書と絵図にした「長崎蘭船挽揚図解」なる出版物の一部である。喜右衛門が沈船を引揚げた年の夏には、その顛末を記した本「図解」として木版印刷され広く流布したようである。
この絵図を見ると、①長崎港を出帆する帆船エライザ号、②暴風雨により難破した姿、③引船により入江にひかれていく様子、④引揚げの様子、⑤引揚げられ帆を揚げた小舟により浜へ向かう様子、⑥浜に引き上げられ修理が行われている様子が、パノラマのように時間の経過と位置関係を示して描かれている。
まさしく、小説「ちえもん」の、エライザ号遭難・沈没と引揚げの様子が図解されているわけである。
そして、同じく神戸市立博物館所蔵「長崎蘭船挽揚図解」の「防州喜右衛門工夫ヲ以挽揚方仕掛大略 下」なる絵図である。
一番下にはエライザ号が引揚げられ帆を揚げた小舟に引かれる様子Ⓐ「帆掛引入図」、その上にはⒷ「引上仕掛図」、この2つは先ののパノラマ図と同様だが、さらに上にⒸ「竹を以て綱入図」として沈船の底部に太綱を回した図、その他沈船船尾に廻船・やぐらとの締結方法や、柱、滑車らしき図等が並んでおり㊀~㊅の番号も付されている。
仕掛の雰囲気はこれでとらえられるが、細部の説明図は何を図示しているか説明は無く、あれこれ推察してみても不明点が多い。何か元図があるのではと、さらに探すこととなった。
次に現れたのは「沈船引き揚げ時の模型」徳山市立中央図書館 である。
中央が沈没したエライザ号で、その周りを多数の小舟が取り囲み、やぐらが組まれている。また、船尾には中型の和船が山形のやぐらとともに配置され、それぞれ沈船と滑車を通じて引揚げ用の綱でつながっている。
海面をアクリル板で仕立て、沈没船と引揚げの仕掛の細部まで見事に現した模型となっている。
これは、まさしく「挽揚仕掛大略」図の中央に描かれた、引上仕掛図そのものである。
この模型の作者、梅原喜一郎さんに話を伺ったところ、かねてより帆船の模型作りが趣味で、長崎で開催されたエライザ号引揚の講演会に参加して感銘を受け、講演をした片桐一男氏(青山大学名誉教授)より提示された引揚げ図絵をもとに、この模型を作成されたとのことであった。
ちなみに、同じ模型が長崎市香焼図書館にも展示されているという。
エライザ号引揚げ模型 梅原喜一郎作 徳山(現周南)市立中央図書館蔵
こうして、片桐一男氏の著作「紅毛沈船引き揚げの技術と心意気」に行き着いた。
江戸時代の蘭学史研究の泰斗である片桐一男氏は、1970年代に喜右衛門の沈船引き揚げを知り、残された資料を研究の上、論文を発表して、喜右衛門の偉業を広く世に知らしめた方である。
本書には、引揚の全体像の記述、絵画資料の解説、文書資料が収められており、片桐氏の沈船引き揚げ研究の集大成となっている。
本サイトの各記述は、その多くが片桐氏の著書をベースとしていることをお断りしておきたい。(片桐氏にはあらかじめ許可をいただいた)
その中でも特に参照したものとして以下を記しておく。
・絵画資料「阿蘭陀沈没船引上ゲノ図」及び「沈没船引揚一件書類」長崎歴史文化博物館
(両者は一体の絵図であり、以下「沈没船引揚図」と呼ぶ)
・報告書「長崎於木鉢ケ浦紅毛船沈船浮方一件」及び「肥前長崎於木鉢ケ浦紅毛沈船浮方一條花岡御勘場ヨリ御尋ニ付申上控」 (二通の報告書は、細部に相違はあるが内容は同一の物であり、以下「沈船浮方一件」と呼ぶ)
・長崎奉行所地場役人の業務日誌「朝比奈阿州公御在勤寛政十年午十月十七日紅毛船破船幷同十九日木鉢浦ニ而沈船ニ相成見遣日記」 (成田繁次という見送船番役の日誌。長崎奉行所側の動向が子細に記されている。ただし十一月二十日までで、喜右衛門の引揚開始より1月以上前で終了している。以下「成田繁次日誌」と呼ぶ。)
・オランダ商館日記。本書中にある片桐氏作成の経過表に記事がまとめられている。
これらを基に喜右衛門の沈船引揚げプロジェクトを追ってみることにする。
「紅毛沈船引き揚げの技術と心意気」
片桐一男 著